ドイツトロンボーン名工2
ヘルベルト・レッチェ

●工房訪問

私がヘルベルト・レッチェの工房へ最初に訪れたのは、1994年1月のこ とでした。レッチェの工房は、ブレーメンの中央駅から離れていて、歩きだと 30分近くかかる所にあります。

玄関を入いると展示・試奏用の楽器が左側のにあり、右側の壁には色々なド イツトロンボーンの名器が飾ってありました。

その奥の事務所から現在の社長ニーナバー氏が迎えてくれましたが、何やら事 務処理に追われていて、工房を案内してくれたのは、修業に来ていた現在アム ラインの製作を担当している、昔は独立した金管楽器製作の工房ハンス・シュ ナイダー氏の息子さんでした。

ドイツの工房は今でもブラスの板より、一からどんなパーツも自社の工房で 作り、楽器を製作しているものと思い込んでいた私は、予想していたものと現 実は違うということを知ることができました。レッチェなど小さな工房は、現 在ほとんどのパーツ(ベル・バルブマシーン・管材)を下請けのパーツ専門工 房に作らせています。例えばベルは、レッチェの場合はエヴァルド・マインル 社、M&H・タインはE・マインルとベルント・ザントナー社など、グラッス ルはチェコのパーツメーカー、東独の製作者は主にB・ザントナーから調達し ています。時間と手間、楽器を作るための地金の在庫経費などを考えると、現 在の競争資本主義社会の中では自分の工房で作るより、出来合いのパーツから 加工したり、ベル型を預けて自分の注文通りに作らせた方が、経済的・効率的 だそうです。現在は100パーセントのパーツを自社供給している工房は、ほ とんど無いというのが現状です。

一通り工房を見終わったところで、ニーナバー氏が開発したてのフルフロー バルブについて、その性能の高さをアッピールする話を聞きました。その他に も色々な話を聞きました。当時はまだ世界的に経済が成長している時期で、日 本ではバブル崩壊直後であったもののまだ不景気の色は濃くない頃でもありま した。レッチェの工房では、その当時新規の楽器製作は月10本台で、コンス タントにオーダーがあり、また利益率の高い修理・改造と新規製作の売上額が ほぼ同じくらいあると聞きました。この頃はまだレッチェの楽器の納期が1年 待ちとか言われていた時期です。

ニーナバー氏は、それまで会ってきたマイスター達とは感じが少し違い、人 の良さそうなおとなしい印象を私は受けました。どこの工房へ行っても、ほと んどのマイスター達は、非常にエネルギッシュで威圧感さえ感じ、楽器のこと を聞けばいつまでも何時間でも話しているし、どのマイスター達も「私の楽器 は最高だ・・・」が多かったので、ニーナバー氏と会った時は拍子抜けした感 じでした。結局ヘルベルト・レッチェ氏は、その時ケガをして病院へ行ってい たので、会うことはできず、それだけが心残りの工房訪問となりました。

●後日談

ヘルベルト・レッチェ氏は、引退後きっぱりと楽器製造・店の経営から手を引き、 余生を老人ホーム(日本のそれとはかなり違います)で暮らしているそうです。 私のように「レッチェ氏は?」という質問には、「病院へ行っていて今いない」とニーナバー氏はよく答えるとのことでした。

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