ドイツトロンボーン名工2
ヘルベルト・レッチェ

●工房の経緯

ヘルベルト・レッチェは、第2次大戦以前はライプツィヒのロバート・へル マン・ショッパーの工房で職人として働いていました。戦後ライプツィヒを離 れ、1949年1月にブレーメンのNeanderstraße 10 に最初の工房を構えま す。1952年に Steintor 28に前記の工房より広い所へ移転しました。  レッチェのホームページ・インフォによると1955年にアルシャウスキー ・モデル(後にクーン・モデルと言われる)を製作していたレオポルド・ミッ チングの後継者フランツ・クーンを工房へ招聘し、本格的に伝統的なドイツト ロンボーンの製作を始めます。(この後継者という意味は、正式にレオポルド ・ミッチングの工房やその権利を引継いだ後継者ということではなく、ミッチ ングの工房が作っていたアルシャウスキー・モデルの製作の権利を取得・後継 したという意味です。)1966年に現在工房があるところ Schmidtstraße 24に移転します。

74年にオーバー・マイスターの称号を取得します。1975年にベルリン ・フィルのバストロンボーン奏者ジークフリート・ツィースリークの協力を得 て、新しいバストロンボーンとコントラバストロンボーンを製作します。これ がいわゆるツィースリーク・モデルです。また、この年の11月18日に自分 の名前“Lätzsch”を商標登録しました。

ヘルベルト・レッチェの甥で現在の社長ハンス=ヘルマン・ニーナバー氏は レッチェの下で修業して1978年にマイスターの資格を取得します。翌年の 79年に工房の出資者として経営に加わり、レッチェより経営を引き継ぎまし た。1995年に新しい「フルフローバルブ」を発表します。1998年には ニューモデルのトランペットとバストロンボーンを発表。1999年、工房は 創立50周年を迎えました。2000年には、新たに自社モデルのマウスピー スを発表します。

●マニアな話

レッチェの楽器のコンセプトは、最初の師であるR・ショッパーに近いもの ではないと思います。ショッパーは、ヘッケルの影響を大きく受けた製作者で トロンボーン製作においてもそれが表れています。また、一部クルスペにも少 なからず影響を受けた部分もあります。基本的には、J・C・ペンツェルから の流れを汲むザクセンのキャラクターのトロンボーンです。レッチェが多少の 影響を受けたとすれば、ショッパーの製作哲学・理念だと思います。この時代 のマイスターにしては、操作性を重視しているという革新的なところがありま す。この点においては、製作に対する取り組み方が似ていると思います。一般 にレッチェの楽器は、工房設立後に招いたフランツ・クーンの流れを汲んだア ルシャウスキー・モデルを手本に発展・改良したトロンボーンです。私の最近 のリサーチによりますと、フランツ・クーンのアルシャウスキー・モデル製作 の権利を「クーン・モデル」として製作することで取得し、契約を交わしたと のことです。

レッチェの評価が高くなっていったのには、次のような時代背景も考えられ ます。60年代後半から戦前に作られた楽器が寿命を迎え、同様のものを手に 入れようとしても、それまで使用していたクルスペなど名工たちの工房が製作 を止めたり、多くの金管楽器製作者たちがいたザクセン地域が共産主義の東独 になってしまったことから、以前より容易に良い楽器を手に入れることができ なくなりました。加えて、西独側において伝統的なドイツモデルの流れを汲む 優れたトロンボーン製作者が少なかったことなどが上げられます。

そんな状況下で、優れた製作技術とノウハウでプロ奏者のニーズに応え、な おかつ高いクオリティーを兼ね備えた楽器を製作したことにより、レッチェに 対する評価が高くなっていったのだろうと思います。その後も時代のニーズに マッチした製作をしていたことにより今日の名声を得ているのだと思います。

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