ヨハン・クリストフ・(ゴットリープ)・ペンツェルはフォクトラントの楽器 製造の町として知られるマルクノイキルヒェンの隣町アードルフのエルスター で1817年3月15日に生まれました。1842年に前述のザトラーの後継 者として工房を引継ぎ、1845年ザトラーの娘エミリー・パウリーネと結婚しました。
ペンツェルは、ザトラーの考案したトロンボーンのクオリティーを上げ、楽 器の名声を高め、その時代のトロンボーン製作のスペシャリストとして、今日までその名を残します。
ウィーンの歌劇場オーケストラ(ウィーン・フィル)がバルブ式トロンボーンからスライド式トロンボーンに替えた時、最初に採用さ れたトロンボーンでもあります。また、後に紹介するエド・クルスペのラインナップにも彼の楽器をベースにして作られた『ペンツェル・モデル』があります。
そして、楽器研究家のヘルベルト・ハイデやハンス・クーニッツによると1850年代末にはドイツで製造されるスライド式トロンボーンの多くが、ザトラー&ペンツェルのコンセプトを取り入れたものになったとされています。
1897年に彼が亡くなると息子のクリストフ・へルマン・ロバート・ペンツェルが工房を引き継ぎますが、わずか一年で息子も亡くなり、工房は閉じる ことになります。その後、ヘルマン・ロバート・ショッパー(ヘルベルト・レッチェの師匠にあたるマイスター)が9年後に、ラインホルト・オスカー・ウルマ ンが23年後にそれぞれペンツェルの後継者として名乗りを上げ、ライプツィヒの別々の場所にて工房を構えます。
ペンツェルもザトラー同様に近代ドイツトロンボーンを発展させた重要なマイスターとして、ここに取り上げました。彼らの楽器は現存するものが非常に少なく、ライプツィヒのカール・マルクス大学内やマルクノイキルヒェンの楽器博物館などで見ることが出来ます。
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